Thailand
Globetrotter

テクテクタイランド

Ban Prasat / Nakhon Ratchasima

August 7[Sat], 2010

東北部の農村でホームステイ! バーン・プラサート

ナコーンラーチャシーマー(コラート)

森ガールとか山ガールとかみたいに、アウトドア系のファッションやライフスタイルの女子を、○○ガールと呼ぶのが流行ってるらしい今日このごろですが、今回の旅のテーマは「タイの農村でホームステイ」。じゃあ「農ガール」はどうだ! と思って検索したらたくさんヒットしました。なんでもあるものですねえ。よしよし、これでいきましょう。農ガール、タイ東北部の農村を往く! ……いや、ガールじゃないですけれども。

ということで、向かっているのはバンコクからおよそ280km、タイ東北部はナコーンラーチャシーマー県バーン・プラサート(プラサート村)。238世帯の小さな農村ですが、そのうち40軒のお宅がホームステイを受け入れていて、昔ながらのタイの田舎の素朴な暮らしに触れられると人気なのだとか。タイ人はもちろん、最近は欧米や日本などからも人々が訪れているらしいですよ。周辺はタイの穀倉地帯ともいえる地域のためやはり農家の方が多いそうで、農作業とか体験できたりしたら楽しいかなと(ベランダでプチトマト育てた経験しかないですが)。

それから、周辺にはタイのアンコール・ワットと呼ばれるピマーイ遺跡などがありますし、このバーン・プラサート自体、紀元前の墳墓群が発掘された「遺跡の村」でもあります。なので歴史好きの人にもいいかもですね!

バンコクから2時間の大自然、カオヤイ国立公園。

August 7[Sat], 2010 8:30

バーン・プラサートへは、バンコクからアユタヤ方面へ北上、途中で国道1号線に入り、そのあとサラブリーから2号線でひたすらまっすぐ。コラートの街の先にありますので車を飛ばしていきます。

ちなみに「コラート」は東北部の玄関口にして最大の都市ナコーンラーチャシーマーの別名。また東北部全域に「コラート高原」として広がる台地の名称でもあります。というわけで、ナコーンラーチャシーマー県に入ると2号線もなだらかな登りが続き、ちょっと険しい山々が沿道に迫ってきます。すると、やがて左手に大きな湖が現れ、果物屋さんの屋台やレストランなども軒を連ねるように。えーと、地図を見ましたところ、この周辺はカオヤイ国立公園。カオヤイとは「大きい山」という意味だそう(シンプルですね)で、山のなかでは野生の熊や象が生息していたり大きな滝があったりするのだとか。運転手さん曰く、バンコクの人にとって山はめずらしいものだから、昔から観光でよく来ると。バンコクから2時間強だし、トレッキングやキャンプもできるし、リゾートホテルもあるし、という人気スポットらしいです。「タイの軽井沢」って感じですかね。車の窓から入る風がひんやり気持ちいい!

湖を眺めながら朝食を、スワン・ムアン・ポーン。

August 7[Sat], 2010 8:45

湖畔で朝食できるところがあるらしいですよ、いいですね! ということで車は細い道をくねくね上がり、大きな山小屋風レストラン、スワン・ムアン・ポーンへ。植物園のような庭を奥へ進むと、眼下に湖が見下ろせる見晴らしのよいテラスにテーブルが並んでます。あーこれは気持ちいい。思わず深呼吸! そしてタイなのに涼しい。というかちょっと寒い。さすがタイの軽井沢です。

朝食に定番のカオ・トム(お粥)を注文!やはり抜群の安定感でおいしかった。あとイサーン(タイ東北部)ならではのベトナム風目玉焼き、カイ・ガタもありましたよ。

アンコールワットより古い! パノムワン遺跡。

August 7[Sat], 2010 10:55

さてさて、コラートの街に着いてもまだ早いので、街の北東約16kmにあるパノムワン遺跡に足をのばすことにしました。タイの東北部には古代の農耕文明の遺跡とか、クメール王朝(後のカンボジア)の支配を受けた時代の寺院とかも多く残っている、たいへん歴史ある地域です。このパノムワン遺跡もクメール王朝による「アンコールワット様式」のものなんですが、なんとその元祖アンコールワットより古い11世紀後半につくられたのだとか。本堂の周りには回廊が巡らされ、石柱には美しい装飾が施されています。当時はきっと壮大な風景だったんでしょうね……

うろうろしていると、麦わら帽子にチェックのシャツ、さらには短パンというたいへん親しみのもてるカッコをした男性と目が合っちゃいました。いきなり「観光?」って聞かれたのでビビってると、案内したげるよ、と。実はこの方、プラディ・プラカーンさんといって、この遺跡を管理している方でした。バイクで30分先の村に住んでいて、「村の財産」を守るため、30年間毎朝通ってるのだとか。

連行されたのはどうみても物置小屋、みたいな建物。プラディさんは鍵をガチャガチャ開けながら「ここは発掘調査のときに使うんだ。出てきたものが置いてあるんだよ」。とある一室で、ほらっと指さされるとその先にはガイコツ。きゃーー!「これは遺跡発掘のときに出てきた人骨。一緒に陶器やヒスイの腕輪も見つかってるんだよ」ですって。次は、と案内されたのは、建物の前の草むら。そのなかに25cm四方、長さ1mほどの石柱が無造作に置かれてます。「この側面見て。きれいな花の模様でしょ。柱や壁の装飾はひとつひとつ手で彫られてたんだ」。その後も次々と「あっちの建物は、窯跡。遺跡を装飾するレンガを焼いてたんだよ」「あっちは礼拝前に身を清めた池」「あそこにご本尊」みたいにどんどん案内してくれました。

「ちょっとは分かった?」というプラディさん、汗だくです。ふと、時計を見ると13時。なんと2時間も案内してくださったのね。ありがとうございました! 別れ際に「ここから50キロほどのところにあるピマーイ遺跡も立派だよ。ぜひ行きなさい」とのお言葉。ええぜひぜひ。

ソムタム食べるならココ! ソムタム・バンラーン。

August 7[Sat], 2010 13:30

イサーン(タイ東北部)料理といえばソムタム(青パパイヤの千切りサラダ)とガイ・ヤーン(タイ風焼き鳥)ですね! というわけで運転手さん超おすすめ、ソムタムがとってもおいしいその名も「ソムタム・パンラーン」というお店へ行くことに。

さすが本場ということで何種類もあるソムタムから、ふつうのソムタム(辛くしないでね!とお願いしました)と煮卵が入った辛〜いソムタムを注文。他にはガイ・ヤーンとコ・ムー・ヤーン(豚の首の肉の炭火焼き)、ヌア・デート・ディアウ(一夜干しした牛肉を揚げたもの)、ソーセージのサラダにミー・コラート(コラート風焼きそば)。いやー、おいしいのなんのって。ソムタムはフレッシュライムが効いてて、甘辛酸っぱい青パパイヤの歯ごたえが格別、お肉も香ばしく焼かれていてたまりません! 初挑戦のミー・コラートも具材少なめのあっさり味が気に入りました。これだけ食べて、ひとり150バーツはお安いと思います。

お勘定のときに店の奥の調理場をちょっと見学。ソムタムをつくっているのはこの道8年、マイヤイカーさん。レシピはいたってシンプルでした。まず木臼にニンニク、小ナス、唐辛子、ローストピーナッツ、インゲン豆、干しエビなどを投入して叩き潰す→ナンプラー、パームシュガーなど調味料を投入し、さらにつぶしながら味が馴染むといわゆるドレッシングのできあがり。ここにパパイヤやその他の野菜など注文に応じて具を投入→ざっくり混ぜて味を馴染ませて調理終了。時間計ったら完成までなんと48秒です! ソムタムづくりは時間が命だそうですよ。

バーン・プラサートに到着。まずは名物の遺跡から。

August 7[Sat], 2010 15:00

さあそれでは目的地バーン・プラサートへ。2号線を少し北上すると、左手に村の入口を示すゲートが見えるのでそこを左折。左右には緑まぶしい青田が見渡す限りに広がります。そこ横切る一本道を走ると、すぐにバーン・プラサートへ到着。

とりあえず車を停めたのは、村の中心にあるバーン・プラサート・ミュージアム。バーン・プラサートには3000年前のものと言われる遺跡が発見されていて、この博物館にはそこで発掘されたものが展示されてるのだとか。入ってみましょうかね、とか言ってると博物館前の広場で遊んでいた少女ふたりが寄ってきて「案内するよ!」と声をかけてくれました。

ブルーの制服を着た彼女たちは、名前を聞いてみると地元の小学校に通う6年生のヌーンちゃんとクンちゃん。どうやら学校で村の歴史を学び、それを実際に観光客相手に披露するという実習(?)中らしいです。よくみたら制服の胸には我らがタイ国政府観光庁のロゴが。おせわになっております。

というわけで発掘された陶器や装飾品、そのほか暮らしに使われた釣り道具や機織り機、お弁当箱などなどが展示された博物館を案内してもらい、次にその隣にある墳墓跡へ行きました。墳墓は保存のために立派な屋根がしつらえてあり、掘り下げられた地面の底に人骨が横たわっていらっしゃる「ザ・遺跡」を見学することができます。「3番と5番の骨は、身長が似ているので、兄弟といわれています。ちなみに3番は、ナイフが刺さっていたので殺されたのだろうといわれています。寄り添っている10番と11番は、たぶん小さい子供とお母さん。13番はお金持ち。頭の上に沢山の陶器があるし、手首から肘にかけて沢山のブレスレットをしています」……殺人事件はいったいなにがあったんでしょうね。それにしてもすごいねヌーンちゃん。「知っておくと、歴史のテストの時困りません」ですって。隣でクンちゃんもコクコクと頷いてました。どうもありがとう! 小さいガイドさんたちにチップを渡すと、初めてちょっと笑顔になりました。うーん、それにしても今日一日で20人分くらいの骨を拝見したような気がします。

おみやげ物やさんの遺跡の話。

August 7[Sat], 2010 15:45

そんな感じで、村内の遺跡3つをぐるりと回り、ミュージアムに戻ってきました。お隣のおみやげ物やさんにかわいい籐のバッグを見つけたので、ちょっとお立ち寄り。日本人? とお店のおばさんに聞かれたので、はいと答えると「日本に行ったことあるのよ」。この方はパイチさんと言いまして、どうやら娘さんが3年前にバンコクで知り合った日本人と結婚して、いま大阪に住んでいるそうです。マジですかわたしも大阪です! 金閣寺や紅葉とともに写るパイチさん一家の写真を見せてもらったのですが、何千キロも離れた南国の田舎の村でふと出会った人が、自分たちの慣れ親しんだ風景に写りこんでいてなんだか不思議な感じがしました。ちなみに回転寿司の話とかで盛り上がりましたよ。

このパイチさんは生まれも育ちもバーン・プラサート。遺跡が最初に見つかったのは、なんとパイチさんの土地だったそうです。「いまから34年前。このあたりは森だったのよ。ある日お坊さんが歩いてきて、森の中で瞑想して修行を始めた。そのお坊さんが立ち去るとき、この土地には何かある、霊がご飯を欲しがっている、とわたしに言ったの。当時は水道も電気もない田舎の村で、いったい何があるんだろうと不思議だった。しばらくして、近所のおばさんが土のなかから陶器を見つけたの。掘ればいくらでも出てくるし、骨董好きの人が売ってくれって来るようになってね。1個10バーツとかで売っていたのよ。ある人がそれを調べて、すごく古い時代のものだということが分かり、発掘調査が始まったの」。

パイチさんは遺跡が見つかった土地を、村に寄付したそうです。「発掘されてからたくさんの人が来るようになった。わたしは残った土地にこのお店を建てておみやげ物屋を始めたのよ。遺跡が見つかってから村がにぎわい、みんなもわたしも、幸せになったの」。毎年4月の1日と2日は、霊を沈める儀式を村を挙げて行うそうです。ウイスキーや豚の頭、お米、お菓子、果物をお供えし、みんなでお祈りをするのだとか。

手づくりの籐のバッグは気に入ったので買っちゃいました。199バーツ。

村内をぶらぶらと。

August 7[Sat], 2010 16:00

ミュージアムから、本日のホームステイ先のお家までぶらぶら歩いていくことに。どの家も胸ほどの高さの生垣に、広々した庭。色とりどりの花が咲く家あり、フルーツがたくさんなっている家あり、ゆっくりハンモックで昼寝する人も少なからず。のどかですね。どの家にも必ずでっかいカメが置いてあります。それもひとつやふたつでなく。さっきのパイチさんの話によると、これは雨水をためるカメ。30年前までは本当に自給自足で、自分の家にフルーツが実ったら近所にあげるし、近所からももらう。お米は自分たちでつくって高床の米蔵に入れる。アヒルも鶏も庭で飼う。お金なんかいらなかったそうですよ。カメもそのころの名残りで雨を集めていたものらしいです。

さて本日のホームステイ先。プーヤイ・ティエムさんのお家。

August 7[Sat], 2010 16:30

なんて感じで到着したのは村長ティエムさんのお家。村のホームステイの事務局もかねているのだとか。めっちゃ笑顔の村長とその奥さんのプラッノーンさんに迎えていただいて、綺麗なマライ(=首飾り)も掛けてもらいました。「紫や白は〈愛〉、赤色は〈賢さ〉よ。お客さんには、愛する色を入れるの」とプラッノーンさん。いやーお花なんて久しぶりにもらいましたねー。

そこへ「お菓子をどうぞ」と出してくれたのは、近所のソンポーンさん。ソンポーンさんの手伝いをしているのは、お孫さんであるところの女子高生のピムちゃんと小6のポムくん。「やあ着いたの」と隣の家から来たのは、ブンチュアイさんとそのお孫ちゃん。ブンチュアイさんは前村長だそうです。なんだか、突然いろんな人がわらわらとご登場で、ちょっとどうしていいのやら……。

戸惑っているわたしに「日本人もたくさん来てくれてるのよ」とプラッノーンさんが寄せ書きノートを見せてくれました。そして「今日はアナタはうちに泊まるの」と例の日タイ指さし会話帳を携えながら。おおそうですか……どうやらひとつのお宅にひとりずつ宿泊する流れでしょうか。村長も自ら「サワディ、コンニチワ」と日本語ちょっとはOKのアピールをしつつニコニコ。が、がんばります。タイ語ダメでもなんとかなりますよね! マイペンライ、マイペンライ。

アーブナームしてタイ式ドレスアップ。

August 7[Sat], 2010 17:30

しばしの歓談の後、夜の準備もあるからね、とプラッノーンさん(以下お母さん)。夜の準備?「外から来た人を迎える儀式だよ」と笑顔の村長。儀式ってなんでしょう……と思いつつお泊まりする部屋へと案内されました。わたしが泊まる部屋は、村長さんの家の2階。テレビが置かれたリビングを横切りドアを開けると、ピンクの壁にブルーのカーテン。タイ風な色彩ですけど、妙に落ち着くのは、壁に掛けられた家族の写真とか整頓された鏡台とか、お母さんたちの日常を感じるからでしょうか。アーブナーム(水浴び)したらこれ着てね、と身振り手振りで渡されたのは、綺麗なタイシルクのドレスです。おおドレス! しかもシルク!

でもシャワーで汗を流し、さてドレスを……と思ったら、これタテヨコ150センチのただの筒状の布でした。うーんこれ、どうやって着るの? おかーさーんっと、ボディランゲージで「着方が分からない」と伝えたら、はいはいと着せてくれました。これは実はスカート。まず筒の中に自分が入り、おへその辺りで位置を決めると、余った分を折り返しベルトでとめてできあがり。おお。究極のフリーサイズ巻きスカートですね。おへそから下だけ見てると、わたしもいっぱしのタイ人です。急いでありあわせのTシャツを着て、本日のドレスアップ完成! 表では大音量の音楽を鳴らしながらトラックが通り過ぎ、これまた大音量の放送で何か言ってます。今夜、儀式があると村中に知らせてるのだとか。なんか大掛かりになってませんか……

歓迎の儀式のはじまり in 小学校。

August 7[Sat], 2010 19:00

階下へ降りると、みなさんすでにブルーのおそろいのシャツで集合済み。ホームステイを受け入れるメンバーのユニフォームだそうです。お母さんが、これははいてと、サンダルを貸してくれました。ストラップが渋めの金色をしていて、スカートにコーディネートしてくれたようです。嬉しい! ほんとのお母さんみたい。

さて、会場は歩いて3分の小学校。校門を入ると両脇にロウソクが立てられていて、光のロードの演出。その先の講堂にはすでに多くの人が集まってます。昼間の小さなガイドちゃんたちも見かけました。ざっと50人くらいでしょうか。すると村人たちの楽団による演奏がおもむろに始まります。ゆったりとしたメロディとリズム。よく見ると太鼓叩いているのは村長? 二胡を弾いているのは前村長? その隣の方、そういえば昼間寝てませんでしたっけ、ハンモックで。「この曲は民謡よ」とお母さん。しばし演奏に聞き入っていると「まぁ、今日のお客さんはアナタなの?」「よく来たね」といろんな人が声を掛けてくれます。えーっと、ケーオさんピッタイさんに、ラビアムさんに……もう分かりません! とにかく、いっぱいの人が声を掛けてくれました。お、向こうにもそんな人だかりが。なんと金髪美女の5人組。レストランの☆づけで有名なフランスのタイヤメーカーのバンコク支社で働いている方々で、ただいまバケーション中なのだとか。「いやー、なんかすごいねー」とお互いアイコンタクト。

そしてどーんと並べられたご馳走をいただきます。カレーやオムレツ、野菜炒め、スープなど(もちろんどれもタイ風の、ですよ)どれもおいしいです! そのうちなにやら村長が瓶を持って近寄ってきて、「ま、一杯」とついでくれました。では、と……!!! うわなにこれキツい! ウォッカ?「ラオカオだよ」と、村長。ラオカオはタイの焼酎で、アルコール度数が40くらいあるらしいです。村長こっちの顔みていたずらっ子みたいに嬉しそうに笑ってます……

歓迎の儀式バイシー:たくさんの糸で結ばれるもの。

August 7[Sat], 2010 20:00

食事が終わると、ひとりの白い服を着たおじいさんが、舞台の祭壇に上がりました。ざわざわしてた村の人たちも、急に静かに。おじいさんがなにやらお経のようなものを唱え、お線香をたいています。「村の神様にお祈りをしているんだよ」とお母さんがそっと教えてくれました。

この儀式は〈バイシー〉というもの。さっき、元村長のブンチュアイさんが教えてくれました。「始まったのは65年あまり前の第2次世界大戦中。戦地から戻ってきた若者はすぐに家へ帰さず、まずお寺で心を鎮めさせてから、日常の生活に戻した。その時に〈バイシー〉をしたんだ。『よく戻ってきたね』『戦地で受けた災いが消えますように』といった思いや願いを込めて、ひとりひとり白い糸を手首に巻く。もともとは出家するお坊さんのための儀式だったんだけどね」だそうです。

村の皆さんが動き始めました。みんな手に白い糸束を持っています。さっき、二胡を弾いていたおじいちゃんが、何かぶつぶつ唱え、手を合わせると糸を1本わたしの手首に結びつけました。続いて、先ほどカレーをよそってくれたソンポーンさんも同様に。村長さんも、元村長さんも、お母さんたちも。みなさんが「よく無事でこの村に来た」「アナタの災いは去っていくよ」「アナタに幸せが来るよ」と、1本ずつ。

わたしの手首に、祈りの糸の束が出来ました。なぜか突然、田舎のおばあちゃんを思い出しました。子供のとき、よく頭をなでてくれました。ちょうどわたしの手に糸を巻いてくれているおばあちゃんに似た節くれだった手でした。ちょっぴり涙が出ちゃいました。とてもとてもすてきな儀式だと思いました。

なーんてしみじみと余韻を楽しんでいると、ダンスタイムです。トップバッターは子供チーム。昼間のガイドちゃんもすまして踊ってます。あのしぐさは、もしや種まき? 伝統の踊りのようです。続きましては、5人の熟女チーム。ポップな演歌風の曲に合わせてほんとに楽しそうです。なになに上がって来いと? フレンチのお姉さんたちは参戦しました。さすがですね! とか言っているうちに、全員が輪になり入り乱れてのいわゆる盆踊りタイム。かなり盛り上がり、アンコールでました! 最後は、村長さんたちの生演奏でステップ、ステップ! 楽しい! かなり楽しい! サヌックマーク(楽しい)です!

お母さんの思い出話で夜はふける。

August 7[Sat], 2010 21:00

踊ったのは幾年振りでしょうか。家に戻ってきた村長さんは「明日、朝6時10分托鉢ね」と言ってご自分の部屋へ。わたしも寝よっかなと部屋に入ると、ノックが。「ちょっとだけ、おしゃべりしていい?」とお母さん。もちろんです! と会話本をとりだしました。

お母さんは部屋の隅にあった箱からアルバムを出してきました。「みんなで、いろんなところに勉強しにいったのよ。ほら」と見せられたのは、どうやら大分県へ視察の際の写真。ホームステイの方法とか情報交換してるそうです。ほかにも群馬県の高校生の写真などが。「みんな2人ずつ分かれて泊まったの。最初は戸惑ってたけど、みんな帰るとき『また来る』『もっといたい』と泣きながら抱き合ったよ」高校生の笑顔が物語ってますよね。彼らのお土産のだるまさんも、大事に鏡台に飾ってありました。

「わたしたちね、特別なこと何もしないのよ。ここの暮らしには、タイの昔の生活が残っているでしょ。それをそのまま体験して楽しんでもらえたら、わたしたちも嬉しいわ」。そういいながら、お母さんが部屋に蚊帳をつってくれました。窓はあけっぱなし。窓の外では、リリリと虫の声。「ゆっくり休んでね」。はい、おかあさん。おやすみなさい。

まあ案の定、夜中に耳元でブ〜ンと何かが飛んでたんですけどね……