Thailand
Globetrotter

テクテクタイランド

Udon Thani / Nong Khai / Vientiane

August 12[Thu], 2010

2号線のロードサイドからおはようございます。

August 12[Thu], 2010 08:40

昨夜ごきげんに酔っ払って床に就いたおかげで快適な朝を迎えております。宿泊したナーカブリー・リゾートはウドーンターニー市街から北へ約15km、2号線のロードサイドな立地なので朝のお散歩もせずにたっぷり寝ました。朝食は優雅に外のテーブルで、とお皿をもちだしたのですが、パンにたっぷり塗ったジャムをめがけてハチさんたちの襲撃をうけることに! 慌てて室内に逃げ込みました。ふー。

紅い蓮の海、タレー・ブア・デーン。

August 12[Thu], 2010 10:30

ハスの花で紅く染まる湖があると聞いたので、ウドーンターニー市街から車で南へ40分。タレー・ブア・デーンにやってきました。紅く……ないですけど? 「いまはハスの花の季節じゃありません(きっぱり)」とエークさん……なんでそれ先に言ってくれないの!

なんでも12月から2月の最盛期の早朝には、ハスの花で水面が埋め尽くされ、その名の通り紅く染まる幻想的な風景が見られるんだとか。うーん、とっても残念です。どーしようかしらーと水辺に放置された小舟のうえでぼーっと立ち尽くしていると、遠くで網を投げていた漁師さんたちが帰ってきました。今朝の釣果はナマズが数匹に市場で1kg40Bの高値がつくという大きな巻き貝、ホイ・コー。見た目のイメージはツブ貝だけど、サイズ的にはサザエと言ったところ。とってもおいしいらしいです。

紅い湖はみられなかったけれどのんびりできたし、まあいいか……と、しょんぼり車に戻りかけると、やおらハスの花を2輪さしだす運転手のヤーさん。おお出会って2日目で愛の告白? なーんて、どうやらがっかりしていたわたしのために漁師さんにお願いして花を分けてもらってくれたようです。さらに、その横から今度はエークさんが小さな白い花を2輪。こちらは愛の花という意味のドッグ・ラック。とてもいい香りです。なんというか、さすがはタイ人男性、女性の扱いをよく心得ているみたい。それに引き替え日本の男どもは……!

なぜかトンボと戯れる。ワット・プラタート・ドーンケオ。

August 12[Thu], 2010 12:00

世界遺産のバンチェン遺跡を目指す道中で立ち寄ったのは、こちらもラオス様式の仏塔をもつワット・プラタート・ドーンケオ。この辺りは6世紀から9世紀にかけてタイ中〜北部を統治したドヴァーラヴァディー国の衛星都市として栄え、その後はラオスから多くの移住者がやってきたところ。16世紀から18世紀には彼らによってたくさんの仏塔が建てられたのだとか。ラオス式仏塔は表面を塗り固めてハスの花などのレリーフを施すのが特徴なのだそう。昨日訪れた舌をかみそうな名前のお寺、ワット・プラタート・プラ・プッタバート・ブアボックの仏塔よりだいぶんシンプルですね。

建築様式のお勉強をしているわたしの隣で、カメラマンは飛び回るトンボを追いかけて必死にシャッターを切ってます。その腕前のほどは写真でご確認ください……と、だいぶんあきれ顔をしていたわたしのところにエークさんがやってきて「クリーンジャンだよ」と、小さな果実を手渡してくれました。とても上品な甘い香りのするこの果実はムーンフルーツとも呼ばれ、その昔、争いに敗れて処刑された王族をこの果実を敷き詰めた墓穴に葬ったのだとか。ものすごい謂われですね……でもそうきくとますます高貴で儚い香りに感じるから不思議です。

イサーンスタイルの鐘楼、ワット・シーブンルアン。

August 12[Thu], 2010 12:25

ラオス様式の次はイサーン様式でしょう、と訪れたのはプラタート・ドーンケオから車で10分ほどの距離にあるワット・シーブンルアン。寺院の設立は1911年、木造の鐘楼は1959年に建てられたものだそうで、意外と新しいですね。すべてをチーク材でつくるのがイサーン様式とのこと。この辺りでは少ないようですが東隣のウボンラーチャターニー県には本堂もイサーン様式のお寺がいろいろあるらしいです。

よくみるとこの鐘楼、屋根のデザインが四方切妻で3段になっていてとても凝っています。さらに脚もとの土台にはナーガや亀、トカゲがかたどられていて、守り神のわりにはとってもユーモラス。ちょっとおもしろいですね。

世界最古の農耕文明? バーン・チェン遺跡。

August 12[Thu], 2010 14:00

さあ本日の目玉、バーン・チェン遺跡にやってきました。さっそく見学!と思ったのですが、その前にたいへんお腹がすいたので国立博物館門前のおばあちゃんがひとりで切り盛りする食堂でおひるごはん。やっとテンションがあがってきました! それでは、いざ!

この遺跡は1966年、ハーバード大学で人類学を学ぶ学生が偶然この地で土器を発見したのがその始まり。その後の大規模な発掘調査によって人骨とともに大量の土器が出土。当初は紀元前5000年ごろのものと推測され、世界最古の農耕文明発見かと大騒ぎになったんだとか。いまは紀元前3600年から紀元後3世紀ごろにかけてのものと推定されています。東南アジアで最も重要な遺跡のひとつとして1992年にユネスコ世界遺産にも登録されました。

まずは国立博物館でお勉強。出土品が発見された深さや土器の文様から、紀元前3600年から紀元前1000年ごろの初期、紀元前1000年から紀元前300年ごろの中期、紀元前300年から紀元200年ごろの後期と3つの年代にわけられるんだそうです。土器の装飾方法も、初期の黒っぽいものから紅い文様の現れる中期、道具を用いて幾何学的な文様を描いた後期と、時代が進むにつれてテクニカルになっていくのが分かります。ところでこの模様、意外とかっこよくないですか? 古代人もなかなかいいセンスしてますね。ちなみこのころの人類は30年くらいしか生きられなかったんだとか。うーん短い……。なんて感慨にひたりつつ、共通チケットで近くの発掘現場、ワット・ポー・シー・ナイを見学できるというので行ってみましょう。

壷を片手に本気で悩む。ワット・ポー・シー・ナイ。

August 12[Thu], 2010 14:45

ここワット・ポー・シー・ナイの境内には発掘現場がそのまま残されていて、作業時のようすを出土品とともに見ることができます。土器の破片がたくさんみえますが、これらは埋まっている間に割れたのではなく、埋葬する際に割ったものなのだとか。完全な状態の壷はひとつだけ、そして頭部を南東に向けて埋葬したそうです。その当時に宗教やおまじない的なものがあったかどうかは分かりませんが、来世の方角だったんでしょうね。

さてその後はもちろん隣接しているお土産屋さんへ。出土品とよく似た文様の土器がたーくさん並べられていたのを着いた時からチェックしてたんです。これらは現在もバーン・カム・オウという村でつくられているそうですよ。なんでも昔ながらの方法ということで、ろくろの代わりに人間の方が土の塊りの周りをぐるぐるまわったり(!)、棒で壷の表面を叩いて滑らかにする技法が用いられてるのだとか。ちなみにお値段は高杯120B、約20cmの壷400Bなどなど。

置物系のお土産にはこれまでそそられてこなかったわたしですが、この土器だけはなんだかとっても気になります。だけど高さ約40cmで1000B、これからの行程、日本への持ち込みかたなどなど……ずいぶんと悩ましいです。ああほんとどうしよう。

ちょっとアタマを冷やそうと店を離れると、見知らぬおじさんが近づいてきて黄色い花を二輪、差し出してくれるではありませんか。あら、また愛の告白ですか? もしかして一目惚れ! ……まあそんなハズもなく、この花が咲いているのをわたしに教えたくて摘んできてくれたようです。ガーラウェークという名のこのお花、とってもいい香りがします。うーん、やっぱり壷は将来の旅のたのしみにとっておくことにしようかな。

少年と銅鑼鳴らし対決! ワット・プラタート・バンプーアン。

August 12[Thu], 2010 16:43

本日のお宿はウドーンターニー市街から北へ約40km、ラオスとの国境の街ノーンカーイ。まだ時間があったのでノーンカーイの有名なお寺でも、ということでワット・プラタート・バンプーアンにやってきました。1世紀から3世紀にかけてインド様式で建てられた仏塔は洪水に遭うなどして何度も再建され、16世紀にヴィエンチャンのセタティラート王によってラオス様式に変えられたものだそう。日本とちがって隣国が地続きなので、こういうふうに文化が長い歴史のなかで入り混じっている感じがおもしろいですね。白い仏塔には金色の彩色や繊細なレリーフが施されていて、これまでみた仏塔の中でもより洗練された美しさを感じます。イサーンで最も人々の尊敬を集めているそうですよ。

境内にはレンガづくりの遺構とともに龍神ナーガが住むと信じられていた四角い池や、セタティラート王が建立した9頭のナーガに守られたブッダ像などもあって、熱心にお祈りする人々の姿がみられました。

とその時「ボワーーーン」と背後で大きな音が! 振り返ると木に吊り下げられた大きな銅鑼を少年が鳴らしています。誰でもOKらしいので、わたしも挑戦。恥ずかしながら初銅鑼です……えい! 「コワーーン……」心をおちつけて叩いたつもりでしたがちょっと控えめな音。残念。「しゃーないなーこれだから素人はよー」と言ったかどうだかわかりませんが、今度は同じ少年が手のひらで銅鑼の中心をなでるように叩きはじめ、小さな余韻が重なったとても美しい音を鳴らしてくれました。えーそんなんで鳴るの? いにしえのお寺の菩提樹の木の下で聴いているわたしたち。眼を閉じるとなんだか神妙な気持ちになるような音色です。ちびっ子が鳴らしてるんですけどね。

メコンの日没。

August 12[Thu], 2010 18:10

少年と銅鑼対決をしている間に大事な指令「メコンでサンセットをみる」のタイムリミットが近づいてきました! ホテルにバックパックを放り込んだらすぐさま出発。手前のターサデット市場に後ろ髪を引かれつつメコンの川岸へ。ふぅ、なんとか間に合いました。あいにくの曇天ですが。

川岸はターサデット市場の周囲1kmほどがきれいに整備された遊歩道になっていて、平日の夕方というのにたくさんの人で賑わっています。散歩する親子連れ、賑やかに食事をしているグループ、逆光のため何度もにっこりして記念写真を撮り直している二人組、ひとり夕陽と格闘するカメラマン……ほんとうに、いろいろな人がいろいろな時間を過ごしています。けれども間違いなく、誰も急いでないなあ……疲れてるんでしょうか、わたし。や、きっとまたお腹が空いてきたに違いありません!

残念ながら「燃えるような夕陽にそまるメコン」は見られませんでしたが、また朝にでもお散歩することにしましょう。対岸は明日訪れるラオス。あちらはいったいどんな国なんでしょうね。

ベトナム料理も有名です。デーン・ナムヌアン。

August 12[Thu], 2010 18:50

ターサデット市場は6時半までというので大急ぎでショッピング。細っこい路地の両側に日用品に衣類にお土産となんでも揃います。楽しい! とりあえず目についた290Bのココナッツオイル500ml×2本と干し人参や木の実の入ったグレインズ95Bを買い漁ったところであえなく時間切れ。ああ残念。リヴェンジを誓いながら本日のゆうごはんへ向かいます。

このメコン沿いに建つレストラン「デーン・ナムヌアン」はノーンカーイの超有名店。ノーンカーイを訪れたタイ人は必ずここで「ナムヌアンセット」なるものをお土産に買って帰るのだとか。入り口の看板には生タイプが5ピース90バーツ、1週間もつ冷凍タイプが5ピース110Bと書かれていて、見ている間にも次々と売れている様子。うーん写真をみてもどうしてそんなに人気なのかがよくわかりません。これはぜひ調査が必要ですね!

というわけで、まずナムヌアンSサイズ(2人前)90Bを注文してみました。出てきたのはそうめん、ちくわ状に焼かれたお肉、にんにく、とうがらし、スターフルーツ、まだ青いバナナ。ひとつの料理にすごい皿数ですけど、これらを葉っぱや春巻きの皮で包んでたべるそうです。ただし、トッピングする順番と量がとても重要なんだとか。迷えるわたしにエークさんが手本をみせてくれました。「葉っぱを掌にのせ、春巻きの皮をひろげたらにんにく1かけ(!)、肉、バナナとスターフルーツ適量、プリック(唐辛子)、ミントひとつまみ、そうめんをのせたらソース、食べる、以上!」

どうやらあまり具が多くなると包めなくなる上に食べにくそう。控えめにつくって食べてみると……おいしい! やや甘めのピーナッツ入りソースの後からバナナの苦み、スターフルーツの酸味などが噛むたび次々とやってきます。女子としてはごろっと入ったにんにくに抵抗を覚えますが、おいしい上にとってもヘルシー。人気があるのもうなずけます。その他の料理も、冷たいソーセージ60Bは豚の皮で包んであってコリコリした食感、サトウキビのエビミンチ巻き180Bも芯のサトウキビの甘みがほんのりエビにうつっていてとどれもとても美味。

ちなみにこれらはこれまで出てきたイサーンやラオスの料理ではなく、ベトナム風のものなんだとか。同じメコン流域ということで、このあたりはベトナムをルーツに持つ人々も多くいるそうです。日本だといろんな文化はすぐ同化してしまうけれど、こういう国境の街でそのような折り重なった歴史がいまも見えるかたちで残っているのはとても興味ぶかいですね。ただし本日はタイの母の日。公の場でのアルコール類の販売は禁じられているそうで……本気でヘコみました……。